著作権と文化の発展
今は、著作権と言う法律があることは中学生ぐらいになれば誰でも知っていると思います。 著作権とは、創作者を保護することにより、文化の発展を促す効果がある法律です。
他人が作った独自性のある創作物をそっくりそのままコピーして、自分が作ったんだと言って公表したり、 そのものを売るなどして他の人に譲渡をする行為は、著作権法違反となります。
もし、著作権が無かったら他人のもののパクリあいとなってしまい、勝手に無断コピーをされるので、誰も新しいものを作ろうとは思わなくなるでしょう。
つまり、著作権が存在することで、物を作った人は、その物に対する自分の権利が守られます。 その結果、新しいものを生み出そうという創作意欲が湧くわけです。
1980年代の著作権事情
日本国内で初めてパーソナルコンピューター、いわゆるパソコンが登場をしたのは、1979年です。 日本電気が販売したビジネスとホビー向けのPC-8001という機種が、国内初のパソコンです。
PC-8001以前のコンピュータは、ワンボードマイコンと言う基盤がむき出しになった機種が一般的だったので、マニアでなければ買わないしろものでした。 それが、PC-8001の場合は、プラスチックボディの中にマイコンを積んだボード(基盤)が納められていたので、 以前と比較すると格段に取り扱いが楽になりました。
そのおかげで、PC-8001は大人気となりパソコンのスタンダード機種として多くの方が購入をしました。
パソコンは、基本的にはプログラムを動作させて目的の処理を行う機械です。 当時は、パソコンが出たばかりなので、売られているアプリケーションソフトは少なく、仕方ないので自分でプログラムを組む人が多くいました。
パソコンを持っている学生の中には、プロ並みのプログラミングスキルを持つ人もいました。 そういった人の中には、業務用のビデオゲームを見て、そっくりそのままゲームをPC-8001等のパソコンに無断でコピーを してしまう人もいました。
インベーダーゲームやパックマン、ラリーXなどなどコピーをされたゲームを挙げればキリがないほどです。 そのコピーされたゲームのプログラムは、パソコン雑誌などに掲載をされていました。
今、その様な事をやったら確実にゲーム開発メーカーから著作権法違反で無断コピーソフトを掲載したパソコン雑誌会社は訴えられます。
また、一昔前は業務用ゲーム機ですら、その著作権法違反のコピー機がアミューズメントパークに出回っていました。
今では、信じられないでしょうが、当時は大人でさえ著作権に関する認知度が低かったのです。
一般的に著作権法違反は先進国になればなるほど、少なくなると言われています。 つまり、後進国では著作権法違反が多いという事です。 その最たる理由は、お金が無くて開発費用を掛けることができないという事です。 売れている商品の真似をするだけなら、違法ですが開発費用を掛けずにヒット商品を生み出すことができます。
昔は日本でも著作権法違反が多かったのは、著作権の認知度が低かったことと開発費用が無かったの両点があったためと考えられます。
・昔のパソコンの性能
1980年代のPCは今現在のものと比較すると価格が高いにもかかわらず、その性能はすごく貧弱でした。
当時はグラフィックボードを搭載したゲームパソコンとゲーミングPCが存在していなかったのです。
今は、ゲームパソコンにはグラボが搭載されているので3D画像がバリバリと動くけど、当時は2D画像でもやっと動かしていました。
当然、画面に表示できる色数も少なくて、初期のパソコンの色数はたったの8色だけでした。
つまり、1980年代のパソコンはアクションやシューティングの様な動きの激しいゲームを楽しむには性能不足だったのです。
ですが、かなりショボイ性能だったにもかかわらず、自宅でアーケードの様なゲームが出来るというのは画期的だったので、当時は感動した人が多かったのです。
また、当時のPCは中学生や高校生が自分のお小遣いを貯めて購入するには、かなり厳しい高額商品でした。 そのため、中学生や高校生は、パソコンショップで展示されているデモ機を使って遊んでいました。 今では、デモ機でゲームばかりしているとショップ店員に怒られそうですが、当時は将来の顧客になるかもと思ったのかショップ店員に注意されることはありませんでした。 それだけ、おおらかな時代だったとも言えます。 当時の高級機種はNECのPC−9801という機種でした。 他のパソコンCPUが8bitだったのに対して16bitの性能を誇っていました。 でも、今のパソコンと比較するととても貧弱な性能だったのは言うまでもありません。 それでも、当時はすごく高性能な機種が登場したと誰もが思ったものです。
ちなみにパソコンが普及をしだしたのは1980年代です。 それ以前には、パソコンは日本国内にはありませんでした。 マシン語と言われるプログラミング言語のトレーニングキットとして、ワンボードマイコンという商品がほそぼそと売られていました。 むき出しの電子基板に演算処理を行うCPUと入力装置としての16進数キーボード、そして表示をするための数字を表示できるLEDが付いた基本的な物でした。 それでも価格は10万円以上するのが当たり前でした。 その頃は、ゲームをするという発想は有りませんでした。 なぜなら、ゲームをするにはあまりにも、表示装置がシンプル過ぎたためです。 パソコン用モニターを接続できるものもありましたが、そのモニターの価格もとても高額で10万円以上していました。 今のゲームパソコンは安ければ液晶モニター付きで5万円台で購入できます。 でも、パソコンが普及し始めた頃は、かなり裕福な人でないと購入できない商品でした。 [追記]