世界初の2Dシューティングゲームは、1962年に登場した米国の「スペースウォー」です。
ただし、このゲームはアーケードゲームとして売りに出されたものではなく、当時のミニコンと呼ばれるPDP-1というコンピュータのデモソフトとして作られました。
スペースインベーダーの登場
その後、日本では1978年に社会的な大ヒットとなった「スペースインベーダー」が発売をされます。
日本のシューティングゲームの元祖はと聞かれたら、「スペースインベーダー」という答えで誰もが納得をするはずです。
「スペースインベーダー」はテーブル筺体として売られて、多くのインベーダー喫茶やゲームセンターが誕生をしました。 当時のタイトーの営業担当者の話だと、元々、スペースインベーダーの販売価格は1台10万円程度だったのですが、大ブームとなり品薄状態になると、100万円以上の値段でも売れたそうです。
つまり、購入したいと考えていた人は、100万円を出してもそれ以上を回収することができると考えたわけです。 事実、「スペースインベーダー」を設置した店ではゲームプレイ代による売り上げがかなりの額あったと言われています。
難易度が高めのゲームであったため、1回あたりのプレイ時間が短い傾向にありました。 そのため、客の回転率が高く、利益を上げやすいアーケードゲームだったことも店の経営者に人気のある理由だったようです。
その後のゲーム業界
スペースインベーダーが大ブームになった時、一部のアーケードゲーム開発メーカーはスペースインベーダーの模造品を造りました。
その一方で、当時のナムコはギャラクシャンというインベーダーゲームの後継と呼ぶにふさわしいゲームを発表しました。 ギャラクシャンは敵が編隊を組んで左右に動く所はインベーダーゲームと同じですが、その編隊から弧を描き、ミサイルを撃ちながら下降してくる敵機がいる所が独創的でした。
また、最初から自機も敵機も白黒ではなく色が付いたカラーで表現をされていました。 その後、ナムコはギャラクシャンの後釜として、ギャラガ、そしてギャプラスを開発していきます。
また、ナムコはギャラクシャン路線とは異なるシューティングゲームとして、ゼビウスも発売をしています。 ゼビウスは従来のシューティングゲームとは一線を画するゲーム内容となっています。
色数が少なくほぼ原色で描かれていたゲームの画像が、ゼビウスでは色数が増えてより立体的に描画をされました。 従来では描くことができなかった、金属の光沢も表現することができるようになりました。
ギャラクシャンなどの背景は黒色で、星に見立てたドットが上から下に流れるだけでしたが、ゼビウスでは地上が描かれていて、その地上が上から下にスクロールをしました。 その結果、自機が前に進んでいるのを上手く表現することができました。
ゼビウスはスペースインベーダーに次ぐヒット作品となったため、アーケードゲームだけでなくパソコンや家庭用ゲーム機などにも移植をされ、その後のシューティングゲームにも大きな影響を与えました。